新生讃美歌 342番「教会世にあり」
この賛美歌の歌詞は比較的新しいものですが、あらゆる時代の教会に適ったメッセージであり、特に今日の時代と時機にあった内容と言えます。キリストご自身から与えられた内容も含まれています。
キリストの教会は聖霊の約束が実現したペンテコステに生まれ、「地の果てに至るまで、わたしの証人となる」(使1:8)ように、というキリストのご命令に従って、世界中で教会は生き続け、成長し、広がりました。
歌詞について
この歌詞は、イギリスの著名な賛美歌作詞者で、チャールズ・ウェスレー以来の最も重要なメソジスト賛美歌作詞者と呼ばれるフレッド・プラット・グリーン(1993~2000)が作った300曲の賛美歌の一つです。そしてこれは1969年出版のHymns and Songsに収められています。6節から成り、「慰めの(ケアーする)教会」(Caring Church)という題名がつけられました。この賛美歌は多少の変更を加えて歌われるようになり、中でも2節を最後の節にして、チャレンジのことばで終わるようになりました。
歌詞の意味は深く、原歌詞をすべて訳すことは不可能でしたので、重要なメッセージの一部は、翻訳で失われています。一節は、教会が「み霊に導かれ」と語ります。原歌詞のもつ深みを理解するために1節の直訳を紹介したいと思います。賛美歌の訳詞と較べて、歌いながらその深い意味を考えてみましょう。
英語の直訳(1節)は次のとおりです。
キリストの教会は いつの時代も変化に襲われるが、み霊に導かれる。
その遺産を主張し価値を検証し、死からよみがえりつづけなければならない。
この賛美歌の原歌詞は、教会が不正や飢餓と闘い、変化と和解の担い手となるようにと語ります。今日の世界の変化や破局、苦闘や痛みを解決し、「キリストの犠牲のパートナーとなることを願う慰める(ケアーする)教会」(3節)であるように、又「飢えている人びとにわたしたちのパンを分け与える教会」(4節)であるようにと語ります。そして教会の使命は「仕えること」というメッセージで終わります。グリーンは、「われらの主に全く仕えること以外の使命はない。すべての人を分けへだてなく大切にし、解放のみ言葉を伝えよう」(5節)と語ります。 訳詞は、「みことば伝える これこそ使命ぞ」で終わります。それはペンテコステにキリストがご自分の民に与えられた委託を要約したものです。キリストは次のようにも語りました。「この最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。」(マタイ25:40)。
訳詞の著作権
詞は、日本バプテスト連盟の新生讃美歌委員会が訳しましたが、訳詞の著作権は、フレッド・グリーン財団が所有しています。この財団に払い込まれる基金は、Hymn Questという賛美歌の研究に用いられます。
曲について
この賛美歌の歌詞は、様々な歌集の曲に使われています。『新生讃美歌』はこの歌詞を最もよく表現するものとして、1815年に作曲された有名なGERMANYの曲を選びました。
GERMANY の曲は1815年にウィリアム・ガーディナーのSacred Melodies from Haydn, Mozart, Beethoven, adapted to the best English poets, and appropriated to the use of the British Churchに採用されました。
ガーディナーによれば、この曲はベートーベンの曲に基づくとのことですが、ドイツ民謡からとられているとも考えられています。又、最初のフレーズはモーツアルトのオペラ「魔笛」の序曲に似ているとも言われます。非常に生き生きしたメロディーの中でも、後半3、4行の徐々に高く引き上げられるくりかえしは、詞の内容の強調と、最後の行の歌詞に活力を与えています。
同じ曲が新生讃美歌481の変ロ長調で用いられています。賛美のひろがりを与えるために、最後の節を高い調に転調すると、「み言葉を伝える」というキリストの使命を成し遂げるチャレンジへの力と勢いとなります。
(大井バプテスト教会 故 大谷レニー)NewSong 6号(2005)