新生讃美歌521 「キリストには替えられません」
ミラーの詞がシェーによって見出されて
作詞者リア・ミラー(Rhea Florence Miller,1894-1966)は1912年、高校卒業時にバプテスト教会の会員となり、1917年にハワード・ミラー牧師と結婚。ハワードは結婚する一週間前にバプテスト教会で按手礼を受けたが、後にナザレン教会に移り、1940年から1948年までナザレン教団の総主事を勤めた。
この詞は作曲者ビバリー・シェー (George Beverly Shea, 1909-2013) によって広められた。シェーはカナダのウィンチェスターでメソジスト教会の牧師家庭に生まれ、ニューヨーク、ニュージャージーで育った。経済的理由で大学は一年で退学し(1929)、生命保険会社に勤めたが、その間、声楽の勉強は怠らなかった。この賛美歌は彼が両親と共に住んでいたころに作曲された。
ビバリー・シェーは「(賛美歌の作曲のプロセスでは)母が一枚噛んでいた。母は美しいものは花だろうが鳥だろうが詩であろうが、何でも人に見せる癖があって、その日も雑誌から書き移したミラーによる美しい詩がピアノの楽譜の棚の中に挟んであった。ある日曜日の朝、私はこの素晴らしい詩を棚から見つけそれに曲をつけた。当時私は20歳で、作曲したその日に父の教会の礼拝で歌った。」と語っている。
シェーの賛美と証しの人生
シェーは全国放送のリン・マリー合唱団のオーディションを受けたが、「福音歌手」との自覚から合格したが入団しなかった。シェーは世俗的な収入を得、有名になることではなく、WMBI(ムーディ聖書学院福音放送局)での働きを選びとっていった。「若者をキリストに」と掲げた青少年伝道で1940年代~50年代、その後もABC放送で福音唱歌を歌った。やがてビリー・グラハムと出会い、1944年からWMBIでビリー・グラハムの福音放送で歌うようになり、数十年もの間、ビリー・グラハムのクルーセードでもこの歌を歌い、多くの会衆に感動を与え続けていった。
解説:山中猛士