新生讃美歌314番 「主イエスこそはわが喜び」(Jesu meine Freude)
一節の歌詞を読むと、センチメンタルで熱烈なイエス様への恋歌のようだと思ってしまうことかもしれません。ところが、2節、3節と読むうちに、その思いはあっという間に崩れ去り、神への信頼の力強さと確かさが歌われていることへの感動に変わっていくことに気づかれることでしょう。
原歌詞は6節まであり、すべてを日本語に訳し出すのは困難です。特に3、4、5節は、さまざまな困難、苦しみ、この世的な誘惑の中で、神への信頼を繰り返し訴えていますが、その内容を『新生讃美歌』では主に第4節にまとめています。
17世紀半ば 三十年戦争後のドイツ
この賛美歌が作られた頃のドイツの時代背景を考えてみますと、一層この賛美歌への理解が深まるのではないでしょうか。この賛美歌が作られたのは、1653年のことですから、ドイツの人口の四分の一が失われたと言われる三十年戦争(1618-48年)が終わって間もない頃でした。
作詞者Johann Franck (1618-77年、弁護士、市長として活躍する一方、宗教詩人として尊敬されていた)、そして作曲者Johann Crueger (1590-1662年、17世紀ドイツの最高の賛美歌作曲家で、『新生讃美歌』の85、111、242、314、595番を作曲) にとっても、その生涯のうちの30年という長い期間が戦争だったわけです。その悲惨な戦争の渦に巻き込まれなかった国民は一人もなく、フランクとクリューガーにとっても同じことで、とくにクリューガーは家族を何人も失い、絶望的な状況の中でただ沈黙するしかなかった10年間がありました。が、その後、彼は1642年に讃美歌集を出版し、それはたびたび改訂されながら多くの教会、信徒に驚異的に広まっていきました。この賛美歌集には、ルターの宗教改革以来の伝統的な力強い客観的な賛美歌のみでなく、このような悲惨な現実を背景にして、個人的で内面的、そして叙情的な賛美歌が新しく含まれていったのは、自然なことだったでしょう。
魂の叫びとして
この賛美歌「主イエスこそはわが喜び」も、そうした状況の中で、魂の叫びとして、また信仰の告白として生まれ、多くの人々に慰めと神への確固とした信頼と希望とを与えていったことでしょう。
この歌詞とメロディーは、賛美歌として歌われ続けているだけでなく、現代に至るまで多くの作曲家に豊かなインスピレーションを与え続けてきました。中でもバッハのモテットはあまりにも有名ですが、この賛美歌を基にしたオルガン作品(オルガン・コラール前奏曲)も、数多く生まれています。礼拝の奏楽に用いることができるのは大変うれしく、340年余りたった今も、この賛美歌のメッセージが生き続けていることに心を打たれます。
青野詔子(平尾教会)新生讃美歌ニュースレター